北海道大学医学部保健学科看護学専攻卒業後、同大学の修士課程(看護学)を修了。札幌市内の病院にて勤務後、北海道大学大学院保健科学院にて博士後期課程(看護学)を修了し2021年より現職。
教育を受ける立場から教える立場に変わり、間もなく3年が過ぎようとしています。学生たちは自分たちのセールスポイントを若くて、体力も元気もあって、フレッシュで、吸収力があって、と言っていますが本当にその通りで、彼らからいつも元気をもらい楽しく過ごすことができています。それと同時に20歳前後の人生で大事な時期に関わらせて頂く責任も感じ、自分とは異なる他者の成長に貢献するにはどのように関わることが良いのか、教育の難しさも実感しております。(学生時代は決して褒められた態度ではなかったので反省もしています…)
担当の分野は基礎看護なので、学生には主に看護技術を教えています。学生からの質問は常に鋭く、どうしたら効率よく、安全で、安楽なケアを提供できるのか、誰もがわかるように可視化・言語化して伝えることはとても高いスキルが必要であると感じます。どうしたら技術を身に着けられるのか、自ら考えるプロセスも非常に重要ですが、インターネットで検索すると自分の知りたい情報を容易に入手することに長けている学生たちにとっては、すぐに答えをもらえないことやケースバイケースといった答えがパターン化されていないことが苦痛のようです。また、SNS等で「いいね」をもらうことに慣れている彼らにとっては、看護実践に関する他者からの指摘も脅威のようですが、これは看護学生に限らず、社会全体がそのようです1)。このように、社会での出来事などの影響を受けて世代による特性が生じることは当然で、彼らにとってより良い教育の在り方について検討することが求められます。
講義や演習では技術書の内容に加えて、最新の論文の知見や自身の臨床の経験を「具体的に」入れ込むように心がけていますが、もっと良い教授の方法もあるのではないかと思います。そのような中で、最近はっとすることがありました。体位交換の演習の際に学生たちが苦戦している様子だったので、看護師役として一度見本を見せることにしました。すると、患者役の学生に「いつも思うけど先生の手は、なんかすごいんですよ!なんか僕たちとは違って、あ、僕は今ケアされてるって、感じになるんですよ。」「来てほしいと思うところに手がきて、なんか感動!」と言われました。思いも寄らない反応で、少し照れてしまいましたが、学生にとってはとても重要な経験であることが、彼らの目を見てよく伝わってきました。そして、博士後期課程のデータ収集の際に(清拭の拭き取り前に温かいタオルを一度あてることの有効性を検証していました2))、患者さんから「あんた、手って大事なんだよ?わかる?人に何かして頂く手って大事なの。これからもずっと大事にして!」と言って頂いたことも思い出しました。手順や根拠以上に、相手のことを慮り、専心すること、それがケアにおいて何よりも重要であることをその患者さんは教えてくれたと理解しています。そして、それを自らの「手」で学生に触れることで、こちらが思っている以上に多くを受け取ってくれることに気づきました。教員から看護ケアを受ける体験は、学生たちにとってはケアの正解の一つを知る機会なのかもしれません。手っ取り早く正解にたどり着きたいと思う彼らにとっては、ケアの正解の一つを体験し、どうしたらそれができるのか分析してみることも効果的な学習方法の一つではないかと思いました。
これがすべてとはもちろん思いませんが、学生にはたくさんの看護の素晴らしさに触れてもらい、自分の「手」に自信を持った学生たちが社会に羽ばたいていくことを、これからも陰ながら支えさせて頂きたいと思っています。そして、患者さんや学生たちが感動してくれたことを、誰もが理解できるような形で示せるよう、研究活動にも力を入れていきたいです。